2019年5月29日水曜日

タラチネ (家族の会話)



子3「おっかあ! タラチネって、何だ?」

母「母にかかる枕詞(まくらことば)ことばだな。和歌とかに出てくる。漢字だと、垂れた乳の根っこと書くことが多い」

子3「あー、なるほど!」

母「言っとくけど、別にそういう意味で母を飾ってるわけではないと思うぞ」

子3「しかし使えば垂れるものだろう、乳は」

母「だからって、歌よむのにいちいち『乳の垂れた母よ』って呼びかけるのか? いらんわそんなデスり系修辞!」

子3「じゃあなんでタラチネなんて言うんだ?」

母「しらん! 本職に聞こう。ちょっと国語学者! タラチネのタラって、乳が『垂(た)る』由来なの?」

父「たぶん、ちがうな」

母「じゃ、ひょっとして『足(た)る』か?」

父「それは、ありうるかもな」

母「そっちに乗った! よく聞くがよい! おっかあは母乳量が半端なく足りていたのだ! 子2は五歳、子3は四歳まで飲んでいた。子1のときだけ、ちょっと足りなかったが」

子1「初子だからな。馴れないうちは、なんでも不足するものだ」

母「うむ。すまなかった」





2019年5月28日火曜日

腐儒の言語学者との会話




「ねえ、シチリケッパイって、知ってる?」

「知らん」

「シチリは、距離の七里。ケッパイは、結界。意味は、七里四方に結界をはりめぐらしたいほど、大っ嫌いで近寄せたくない気持ち。『七里ケッパイ、いやだ』って感じで使うんだけど、正岡子規とか内田魯庵の文章に出てくるんだけど、現代日本語に言い換えたら、どうなるかね」


「超ウルトラバリア嫌だ、だな」


ちょっと、ゴロが悪いと思われる。




2017年11月11日土曜日

生生生生生始暗


あるいは、魔法のカギ 


なんだか、家内が空海にはまっている。

日本に真言密教を伝えた人なのだが、宗教家である以上に、政治コンサルタントであり、教育者であり、プランナーである。最澄とくらべると、信仰の対象となるくらいのカリスマ性をもつ一方、経歴・人間関係などなんか胡散臭いところもないではない。

嵯峨天皇淳和天皇の信頼を得、大僧都となる。

表題の詩句「生生生生生始暗」は、淳和帝の勅に応じてつくられた『秘蔵宝鑰』序文の詩である。これを「教授、これを読んでくれ」と家内がもってきた。


東京大学蔵のものが、国文学研究資料館のホームページで公開されている。

【秘蔵宝鑰】  表紙
       

画像閲覧画面の使い方
http://base1.nijl.ac.jp/iview/help/help.html



写本であるが、カタカナの字体が新しいし、返り点も打ってあるので、訓点は近世のものだろう。漢字の四隅に声点が打ってあるので、もともとこれは音読したものである。

「万」に付されている声点は「○○」と濁音指示がある。「マン」ではなく「バン」であるから、唐代の長安音(漢音)で読むべきものである。仏教の漢字音は「男女(ナンニョ)」のように呉音で読むことを慣習とするが、真言・天台の一部の経典は、漢音で読まれる。

空海は、世界帝国である唐の都、長安の青龍寺に学んでおり、本場本家の中国語を伝えるわけである。もっとも、その後継者たちは、日本語ベースで理解する。すなわち訓読である。この写本に即して、訓読すると次のようになる。




悠々たり 悠々たり 太だ悠々たり 内外の縑緗 千万の軸あり。
杳々たり 杳々たり 甚だ杳々たり 道を云ひ 道を云ふに 百種の道あり。
書死(た)へ 諷死へなましかば 本と何んか為せん。
知らじ 知らじ 吾れも知らじ。
思ひ思ひ思ひ思ふとも 聖も心(し)ることなけん。
牛頭 草を嘗めて病者を悲しみ。
断菑 車を機て迷方を愍む。
三界の狂人は狂せることを知らず。
四生の盲者は盲なることを識らず。
生れ生れ生れ生れて 生の始めに暗く。
死に死に死に死んで 死の終りに冥し。



なんか奇抜な表現が並んでいるような気がするが、どのように読むか? 

まず、これは序なので、自分が著した『秘蔵宝鑰』という書物の導入である。『秘蔵宝鑰』は真言密教が真理の境地にあることを論じた『秘密曼荼羅十住心論』の要約である。「ひそかにもっている宝のかぎ」を意味する。「かぎ」は蔵の扉をひらくためにある。その序であるから、読者を真理の世界に誘うことばに相違ない。


詩は凝縮度の高い表現形式である。

つまり、そのまま読むのではなく、その表現が内包するもの、外延するものをイメージして理解するものである。内容を解説するには、パラフレーズすることが必要となる。くだいて、訳してみよう。



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悠々としてはるかである、悠々としてはるかである、たいへんはるかなことであるよ。  
わたしたちの前には、美しく装丁された仏教の経典(内典)、そして漢籍(外典)。  
なんと千万もの巻物がある。 そこにある教えは、きわめて膨大である。 
杳々として広大である、杳々として広大である、たいへん広大なことであるよ。  
人の道について説くものがあるが、人の道を説くのに、儒教・道教・仏教・小乗・大乗・顕教・密教・・・・実に、百種もの道がある。 そこにある教えは、きわめて広大である。  

しかし、もしも、その、書き残された書がなくなったり、言い伝えられた諷がなくなったとしたら、一体どうしただろうか?  
知らない、わからない、教えを学ばなかったら、わたしも道を知らないだろう。  
では、考えるか?  
たとえ、考えて、考えて、考えて、考えたとしても、聖人だってわからないだろう。  
知の蓄積があって、人はようやく道を知るのである。 
頭に牛の角がはえた神農という人がいた。 
その昔、人びとは食べられるものとそうでないものをよく知らなかった。そのため、毒物にあたって体をこわすものが多かった。神農はこれを悲しみ、自ら草を嘗めた。彼の体は透明なので、毒がはいっていると、内蔵が黒くなるのでわかるのである。彼は身を犠牲にして人びとを救ったのである。 

また、体が断菑のようと評された周公旦という人がいた。 その昔、越の南から周の王朝に朝貢してきたものたちがいたのだが、彼らは方角がわからなくなり、国に帰れなくなってしまった。周公はそれを哀れみ、指南車という車をつくって、彼らを故国へ帰したのである。  
人びとを救うには、そのような何かが必要であり、彼らのような人が必要なのだ。なぜなら、人は無明だからである。 
人びとが物を食い、子を生む、この欲界、 欲界を離れても、物と体に束縛された色界、 心の働きのみが残る無色界、その三界を人は輪廻する。 なぜなら、解脱できないからである。  
正しい悟りをもてないのだから、狂っている。 狂っているけれども、狂っていることがわからない。 真理を知る知恵がないからである。  
この世に生きるものにはさまざまなものがある。 母の胎内から出生するもの。 卵から孵るもの。 湿気の中から生えるもの。 業により忽然と出てくるもの。  
その四生の中には視覚のない生き物もいる。彼らは自分が視覚がないことを知らない。 それを知る目がないからである。 
この世の人びとは、生まれ、生まれ、生まれ、つぎつぎに生まれてくるが、その始めは暗黒である。それを知る知恵がまだないからである。 この世の人びとは、死んで、死んで、死んで、つぎつぎに死んでゆくが、その終わりは暗黒である。やはり、それを見る目がもうないからである。  
無明であることは、三界の狂人、四生の盲者とかわるところがない。  

この世に迷える一切の衆生を救う、神秘のカギ。それがこの本だ。



えらく長くなったが、これくらい説明しないと、理解できないんじゃないかな?
しかし、超要約すると、こうなる。


不幸なのはバカだから。 
勉強すればなんとかなる。 
オレが教える。以上。 



案外単純。( ̄〜 ̄;)





2017年11月1日水曜日

記事の分類について(大雑把)


掲載した記事が増えてきたので、内容別に分けてみました。



大学生からの言語学に関するQ&A

講義に出席している学生からの質問に答えたものです。


言葉の質問箱

ネット上で受けた、言葉に関する質問と、その回答集です。


自閉症と言語について

自閉症者が取得する言語について書いた記事です。


バイリンガルについて

質問者が多かったので、まとめました。


方言について

こちらも質問者が多かったので、まとめました。


日常

筆者の日常に関する記事です。日記のようなもの。




2017年10月15日日曜日

腐儒の言語学 (133) それは君の思い込みです





Q.日本語で「ア」と言えば「あ」と読むのに、英語で「a」と書いてもいろいろな発音があるのはおもしろい。発音記号が、日本語にはないからだとも思うが。 



A.日本語で「ア」と書いても、実際の発音は多様です。一つではありません。君がそう思いこんでいるだけ。その「思いこみ」を「音韻上の音」と呼んでいるわけです。 

 また、英語の文字の読みが多様であるのは、前回説明した通り、本来合わない文字を使っているから。決して、好ましい状況ではありません。 

 なお、発音記号というのは、正しくは「国際音声記号(International Phonetic Alphabet)」と言い、世界中の言語の音(子音・母音)を記述できる、記述用の記号体系です。世界中のどこにもこんな文字をつかっている言語はありません。 

 また、言語学者ならば、世界中のどこでもこれをつかって、音声の説明ができます。 



2005年07月15日



「世界音声記号辞典」  ジェフリー・K. プラム、他 著(三省堂)は、Amazon Kindle版が出ています。


2017年10月13日金曜日

腐儒の言語学 (132) 音が多い言語をあやつる人の脳は発達してるのか?






Q.日本人の頭の中では、一つに認識されている音を、違う音として認識する外国人の脳は発達しているのか? 


A.もしそれが正しいとすると、上記のような区別ができない脳は、「発達していない」ことになります。

脳の発達とは関係なく、言語にはそれぞれ特徴のある「音のきまり」があるだけです。 

また、「音が多い」ことがすぐれた言語であるわけではありません。音の習得に手間がかかるからです。

そして、単語の発音・聞き取りに注意を要しますので、「楽に」発音したり、聞いたりできません。「注意をしないとつかえない」道具は一般的ではありません。

音が少ないと、この点は楽ですが、一方で、単語が長くなる、発音がルーズになりやすいなどの弱点があります。 






2017年10月12日木曜日

腐儒の言語学 (131) 英語話者が区別できない日本語の発音





Q.英語話者が、日本語において、区別できない、発音できない音にはどんなものがあるか? 


A.

  長母音と短母音: 
    「おばさん」「おーばさん」「おばーさん」 

  撥音の引き延し: 
    「(荒城の月)はーなーのーえんー」 
         (「えーん」になる) 

  特殊拍の発声時間: 
    「しぱい(失敗)」「しぶ(新聞)」 

  母音の維持: 
    「おてぁら(お寺)」 


などなど、結構たくさんあります。 


(2005年07月15日)




↓ 参考文献



↓ 参考サイト
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kamiyama/phon_get_rid_of_your_japanese_accent.html